第2部第1章 二日酔い予防方法諸説と問題点

第2部 第1章の内容
1-1 二日酔い考
1-2 二日酔い予防方法諸説
1-3 二日酔い予防方法諸説の検討
1-4 二日酔い予防対策における糖類善玉説とデンプン悪玉説
1-5 第2部第1章引用文献

1-1 二日酔い考

 前夜飲み過ぎて、朝飯が食べられず、満員電車の中で気分が悪くなり、途中下車したことも二度や三度ではありません。
   二日酔のんだ所をかんがへる   (誹風柳樽、文献1-1)
程度の時はまだしも
   戻すものもう何も無い二日酔     (隆)
となったら、出てくるのは胃液だけで、昼飯も危うい。何時間も飲み続けたのは自分自身であり、我慢するしかありません。三日酔いということもたまにはありますが、通常、二日酔いは時間が経てば治るものであり、夕暮れになるとまた懲りずに飲み始めることと相成るのであります。
1-1-1 皮日休の詩
 九世紀、中国唐時代の詩人、皮日休に「酒病偶作」(二日酔ひして、ふと作る)という詩があります(青木正兒訳、文献1-2)。
   森林の図の衝立で昼間の明かりを遮り
   ひとたきの濃香で二日酔を静養してゐると、
   何(どう)した事か夕方になると復(ま)た飲みたくなった
   垣根越しに蛤蜊(あさり)を売る声が聞こえる。
 二日酔いの苦しさは今も昔も違いはなさそうです。現在でも、シジミやアサリは二日酔いに効果があると言われていますが、九世紀の中国でもそのように考えられていたことが示唆されており、興味深く思われます。
1-1-2山口瞳の随筆
 二日酔いは多くの人が取り上げており、山口瞳は随筆「ウイスキー」(文献1-3)の最後を次の文で締め括っています。
「私は神様にひとつだけ文句がある。心根の優しい女がすくないことも人間は所詮死すべく造られたことも許してあげよう。
しかし、どうして宿酔(ふつかよい)は迎え酒でなくてはなおらないんだろう。畜生。あんなにいい気持ちにさせて『出師営の会見』まで歌わせておきながら。ねえ、どうしてくれるんです。神様(あんた)!」
1-1-3キングスレー・エイミスの「酒について」
 キングスレー・エイミスは「酒について」(文献1-4)の中で「二日酔」を取り上げていますが、二日酔いに関する文章としては最も優れたものの一つであろうと思います。エイミスは「二日酔」の項の冒頭で次のように述べています。
「何たる題目であろうか!そして、なんともはや、『不思議なくらいなおざりにされている』題目なのである。新聞や雑誌を開けばたちどころに、どこの国の人間にも共通していると言っていいこの苦しみをどうやって治すかについて教えている文章が目に飛びこんでくるのは、私も知っている・・・・・そのほとんどがどこかで一度は聞いたようなものであり、あるものは実際にはなんの役にも立たず、現実に有害なものもひとつふたつはあるのだが。二日酔は身体の病気だけのことのように、そういう論議は肉体の徴候にもっぱら注意を向けている。・・・・・・・」
1-1-4 吉行淳之介と開高 健の対談「美酒について」
 吉行淳之介は開高健との対談(文献1-5)の「形而上学的二日酔いについて」という項の中で「・・・・二日酔いについて語ろうとすればエーミスの『酒について』(文献 1-4)だね。あの本の白眉は二日酔いの項目だよね」とした上で、二人は次のように対談しています。
吉行:いい酒と悪い酒によって酔い方も違うね。
開高:ぜんぜん違いますな。
吉行:二日酔いはどうかね。
開高:いい酒は二日酔いにならないですね。それに酔わないですね。神気いよいよ冴えわたり・・・・・・。
吉行:そうかねえ。
開高:今度どこかでせしめてきて一本飲ませます。これは飲めば飲むほどいよいよ飲める。そして酔わない。爽やかになる。あくる朝ダメージがない。ゲップも出ない。ヘドも出ない。」
1-1-5 まとめ
 山口瞳、キングスレー・エイミス、吉行淳之介及び開高健という有名な文化人の二日酔いに対する考えを紹介しましたが、これらが酒飲みの二日酔いに対する平均的な考えではないかと思います。


              「第1章1-2  二日酔い予防方法諸説」に進む                  ” 

Pages: 1 2 3 4 5